「見える世界」は本当に”見えて”いるのか?
“全て”見えているのか?
全ては見えていないでしょう。
例えば、友達ととある商店街を歩いていたとする。
その時にあなたはメガネ屋さんが目に入った。
なぜならド派手なピンクの衣装を着た変わったメガネをした店員さんがいたから。
そしてあなたはしばらく歩いてから、友人に語りかけます。
「さっきの店員さんのメガネ、すごく個性的だったね。」と。
すると友人はキョトンとした顔で返事をします。
「え?メガネ屋さんなんてあった?」と。
これは何ら不思議なことでは無いでしょう。
誰しも、そのようなことはあるだろうなと思えるようなことです。
ね。見えているといっても、全ては見えていないのです。
じゃあ、全て見えていないことを「見えている世界」と言い切れるのか?
そして、見えない世界も同じ。
嬉しい、悲しい、楽しい、びっくり驚き、気持ちいい、もやもや、怖い、不安、ありがたい、楽しみ、などなど。
それらは目に見えるものか?といったら見えないものでしょう。
なぜなら感情や感覚だから。
でも、確実に存在するものだというとは、あなたがたは知っているでしょう。
確実にそこにあるのに、見えない感情や感覚。
確実にそこに居た人なのに、見えていない人。
確実にそこに”ある”感情や感覚という現実。
確実にそこに人が”いた”という現実。
この2つにそれほど差がないのはお分かりでしょう。
目に見えるものが確実なのか?
目に見えないものが確実なのか?
日本語で言うなら、どちらも確実だし、どちらも確実ではない
この2つは、全くもって同じことを言っているんだと
お分かりでしょう。
ただ単に、この地球上でのことを話しているだけ。


